日々

日々思うこと

母娘

最近の母娘のべったりが気持ち悪い。いつでもどこへでも母娘でいる。そこに夫の存在は皆無。

コンサートも買い物も旅行も一緒。考えられない。お互いウザくならないのだろうか?

二卵性双生児のようでもある。

私は娘がいないからわからないのだろうか?

でも、たぶん娘がいてもそうはなりそうに無い。

親でも子供でも育ってしまえば一個人同士。いつまでも子供の言いなりにはなれない。

私は私、子供は子供で勝手に生きて欲しい。

いざとなれば助けざるを得ないが、普段ベッタリって、お互い他に友達いないの?と思ってしまう。

 

良いことと悪いこと

何事においても裏表、良いことがあれば悪いこともある。誰かの幸せは誰かの不幸のように。

で、私の難聴で良いことは何だろうと考える。

テニスをサボれる。無理することをやめた。

このくらい。

不便になったこと。プールへ行けない。遠くへ行けない。いつも頭がモヤモヤ。聴こえない。

 

また市役所からの封筒が

役所からの封書がポストに入っていると青くなる。決まって納税通知書。

年金生活になると、年金もそれほどの額では無いに関わらず、そこからまた色々の税金が引かれる。

介護保険料、国民健康保険料、所得税、そして今回は市県民税。

税金の総額は所得の40%くらいらしい。

年金が20万だとするとそこから8万は税金になるから正味12万で毎月やりくりすることになる。これで家賃など払えない。ボーナスも無いのだから。

他、妻の年金で何とか何とかやっていく。

今はまだ夫がアルバイトで働いているから普通に暮らしているが、病気も出来ないし働けなくなったら本当につましくつましく生き長らえるしか無い。

私たちの年代はまだいい。これからの人たちはどうなるのだろう?

下位国民はのたれ死んでも仕方がないというのが政府の見解だろうか?

 

本当の幸せ?

常識に乗っ取って、慣習に従い生きている人はある意味楽かも知れないと思う。

誰かが決めた常識、いつの間にか出来た慣習、例えばクリスマスやお中元お歳暮、ひな祭り米寿の祝い、入学祝いとかお年玉とかいくらでもある。

それらは皆自分自身が決めたものではなく、誰かの意図によっていつの間にか作られたもの。

そして、平凡な一市民はそういうことはやるもんだと洗脳されている。

しかし、洗脳も感じずそういうもんだと素直に思って生きている人はそれはそれで楽かも知れないと思う。そういう人は死ぬのもそういうもんだと納得して死ねるのかも知れない。

そして自分の人生は幸せだったと思って。

楽しい?クリスマス?

ほんとに?

お中元お歳暮なんかやめればいいのにって思わない?

そんなわけにいかない、って夫なんかは言う。

いつも「そんなわけにいかない」

葬式も年賀状もお見舞いも。特に親しかったわけじゃあなかったのに。義理?

母の日のプレゼントも義理?

バレンタインのチョコはもちろん義理です。上げないとわだかまりできるでしよ?

あなたはいつもそういうの待ってるもんね。

クリスマスにはケンタッキーとケーキ。

お正月はお雑煮と蒲鉾伊達巻。

そんなもん、いつでも食べれるのにね。

 

そういうもんじゃない

 

やっぱし言うよね。

東京

若い時、東京で働いていた。生まれは東京だけど、親の都合で神奈川の田舎に越してから東京はとても遠くなった。

それでも1時間くらいかけて新宿まで通っていた。満員電車で。毎日うんざりしていた。

でも、若い時は東京以外は街では無い気がした。

横浜だって逗子だってやっぱり田舎だった。

東京にはごまんと人がいて、種々雑多いろんな人がいて、こっちがどんな格好をしていても誰も関心を示さない。田舎者でも貧乏人でも。

ところが田舎は違う。ちょっと変わった身なりをしていると、近所でごそごそ言われる。

行動も監視される。はっきり言われないが、無言の圧力がある。

じいさんはジョギングする私を無表情で上から下までじっと眺める。

どこへ行くにも田舎の人たちは一人では行かない。映画に一人で観に行く女の人は殆どいない。

東京だったら何処へでも一人で行けた。誰もまったく何も関心を示さないから心が自由だ。

でも、最近は東京に行くと緊張する。

知らない高層ビルがいっぱいで人間はその下をアリのように動いている。

どっちへ行けば目的地に着くのかわからない。スマホでグーグルに頼る。

私がいた東京は、一番高いビルが霞ヶ関ビルか京王プラザくらいだった。それさえも高いビルが出来たなあと思ったものだった。

スカイツリーが私の生まれた場所の近くに立った時、メガゴジラに侵略されたような気がした。

もう東京は私にとって架空の街になった。

そして、今住んでいるここは墓場のようだ。

 

すべて自分のせい

このまま夫と暮らすことが苦痛だ。でもだからと言って具体的に離婚するとか別居するとかも考えられない。

第1にペット2匹は私にしか懐いていない。彼らを連れて出て行くのは困難である。

そして第2に経済的に無理。私の年金で部屋を借りて暮らすことは無理。難聴もあるので仕事をするのも難しい。

ってなことを言っているうちは現状のままふつふつと苛立ち抱えているしか無くて、すべては自分が悪い。

夫に非は無い。

勝手に私が夫を嫌ってそばに居たく無いだけ。

しかしいつものことながら、実際夫が長く居ないと不思議に最初のウキウキは消えて不安になるのも事実。

要するに私は超ワガママ。これは父親譲り。

何でも自分の思う通りいかないと苛立って来る。精神修行が足りない。

結局、夫じゃなくても誰にでも苛つくのだ。

 

ごめんなさい、😞ごめんなさい。

夫が起きて来ない場合

いつも5時過ぎには起きて来る夫が今朝は7時になっても起きて来ない。もしやと期待しつつ声を掛けると、残念、生きてました。

って、ほんとに期待してる?!

以前夫が死ぬ夢を見て、喜んでいた自分を思い出した。

実際どうなんだろう?

夫も私が死ぬのを期待しているかも知れない。

お互いに自由が欲しいかも。

 

ほんとにいなくならないとお互いの価値はわからない。近所の奥さんは去年長患いしていたダンナが死んでからは笑顔が増えた。

「いいかも」と言っていた。